2011年06月16日

BS歴史館

ローマの休日
ずいぶん前に、BS歴史館 シリーズハリウッド100年 で、ローマの休日の作られた時代背景を放送していました。

ローマの休日は、封切られてからいつもどこかで放映されている作品のひとつとされていますが、あんなハードな時代がハリウッドにあったなんて、びっくりしました。赤狩りと闘った男たちの知られざる物語が隠れているのです。

ローマの休日は1953年の作品です。このテッパンのように思われるロマンティックコメディに、黒い影があったなんて・・・。
当時アメリカでは、赤狩り(共産主義排斥運動)があって、主張のある映画界、ハリウッドが狙われたらしいのです。
  
封切当時、脚本家はイアン・マクレラン・ハンターという名前でした。が、本当の脚本家は赤狩りによりハリウッドを追放、投獄されたダルトン・トランボ。

当時、マスコミに影響力があるからか、ハリウッドスターが公聴会に召喚されています。保守派としては、ロナルド・レーガン、ロバート・テイラー、ゲーリー・クーパー、ウォルト・ディズニーなど、そうそうたるメンバーです。

共産主義の疑いをかけられた人達を、ハリウッド10、その中にトランボがいました。

ハリウッド映画会が真っ二つに分断された時代だったのです。

そんな中、映画監督ウィリアム・ワイラーは、自分は共産主義ではないけれども、共産主義というだけで迫害されることが、表現の自由、思想の自由に反する、ということで赤狩りに抗議するのです。

赤狩りの嵐が吹き荒れる中、トランボは親友の名前で「ローマの休日」を発表します。

この映画の冒頭で、「撮影そして編集のすべてをローマでおこなった」とあります。スタジオ撮影が主流だったハリウッドでモノクロ映画にしてまでも、全編海外ロケでおこなったのには理由があります。それは、赤狩りによってハリウッドを追放された人と一緒に仕事をする為だったのです。

ちなみにはじめのキャスティングはアン王女はエリザベス・テイラー、新聞記者のジョーはケーリー・グラントでした(これはこれで見てみたい気もしますが、ピュアさでは負けるかな)が、ジョーには赤狩りの抗議団体にいち早く参加したグレゴリー・ペック、オーディションで新人発掘をして、ファシズム政権下でレジスタンスを支持した少女オードリー・ヘップバーンになったとのこと。


また、ワイラーが自らシナリオに加えたシーン。有名な”真実の口”のシーン。これはグレゴリー・ペックのアドリブで行われ、ヘップバーンは知らなかったらしいのですが、これについてワイラーは後に、「これを映画のどこかに入れなければと思ったんだ。二人の人間が互いにうそをついている物語だから」と言っています。

これは、赤狩りにより、ハリウッドには裏切りが横行していて、いっぱいいたうそつきに対しての抗議だったようです。

その後、トランボは「栄光への脱出」でハリウッドに復活しますが、ほとんどの人復帰できなかったのです。

1960年、モスクワでローマの休日が上映、2003年50周年を記念してトランボの名前がフィルムにクレジットされます。

ローマの休日の最後のシーン。記者会見場でジョーがスクープ記事を取ろうとしていた新聞記者だと知っての二人の会話・・・。

アン「人と人の間の友情を信じるように」
ジョー「王女の信念が裏切られぬことを信じます」

という台詞の中に時代背景のすべてが詰まっているのでしょう。

トランボは言っています。あの時代に悪漢も英雄も聖人も悪魔もいなかった。みな、長い悪夢の犠牲者だったのだ。


これを見て、もう一度ローマの休日を見ました。
なかなか意味深で、考えさせられました。
ついこの前の時代なのに、ずいぶん昔のような目に見えない統制があったんだな・・・。今は自由なのかしら。


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posted by ちゃーちゃん at 11:51| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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